医療事務職を取り巻く大きな変革
2024年度の診療報酬・調剤報酬改定は、医療従事者の処遇改善、すなわち「賃上げ」が主要なテーマの一つとなりました。医療分野全体で賃金水準が他産業の平均を下回っている現状を踏まえ、人材確保と定着を目的として、政府は医療従事者のベースアップ(ベア)を強く推進しています。
特に調剤薬局で働く事務職員にとっても、この改定は賃金体系に直接影響を及ぼす重要なニュースです。今回の改定では、薬局の経営資源を確保し、職員の賃上げを実施するための財源として、調剤基本料の引き上げが行われました。
本コラムでは、求職者の方が最も関心を持つであろう「賃上げ」の具体的な仕組み、特に調剤事務員の給与にどのように反映されるのか、そして改定によって求められるようになった新しい薬局の役割と、それに伴う事務員の業務の変化について、詳しく解説します。
2024年度調剤報酬改定の全体像
1.改定の背景:「患者のための薬局ビジョン」と地域包括ケア
日本の医療制度は、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となる「2025年問題」に向けて、「地域包括ケアシステム」の構築を急いでいます。この中で、薬局と薬剤師の役割を明確にするために、2015年に厚生労働省から「患者のための薬局ビジョン」が打ち出されました。
このビジョン以降の調剤報酬改定は、薬の在庫管理といった「対物業務」から、患者の継続的な薬学的管理や指導を行う「対人業務」への移行を評価する方向性で進められてきました。2024年度の改定は、この「薬局ビジョン」を調剤報酬制度上で総仕上げしたものと評価されています。
2.2024年度改定の3つの主要な柱
2024年度の調剤報酬改定には、大きく分けて3つのポイントがあります。
- 1.地域の医薬品供給拠点としての役割を発揮するための体制評価の見直し
- 〇調剤基本料の引き上げや、調剤基本料2の算定対象拡大による適正化が行われました。
- 〇「地域支援体制加算」や「連携強化加算」の見直しが行われました。
- 〇医療DX(デジタルトランスフォーメーション)を推進するための加算が新設されました。
- 2.質の高い在宅業務の推進
- 〇在宅患者への薬学的管理および指導の評価が拡充され、高齢者施設に対する薬学的管理が充実しました。
- 〇特に小児医療や終末期医療に対応できる薬局が評価され、在宅医療における緊急時の対応充実のため、夜間・休日・深夜訪問加算が新たに設けられました。
- 3.かかりつけ機能を発揮して患者に最適な薬学的管理を行うための薬局・薬剤師業務の評価の見直し
- 〇「調剤後薬剤管理指導加算」が「調剤後薬剤管理指導料」に格上げされ、対象疾患に慢性心不全が追加されました。
- 〇リフィル処方箋調剤に伴う医療機関への情報提供など、服薬情報等提供料が見直されました。
調剤事務員の賃上げ:ベースアップ評価料と財源の仕組み
1.賃上げの目標と対象職員
今回の診療報酬改定の大きな柱の一つが、医療従事者の処遇改善による賃上げ(ベースアップ)です。
医療業界全体の賃金は他産業の平均を下回っており、人材確保が急務とされています。政府は、定期昇給を除くベースアップとして、2024年度に2.5%、2025年度に2.0%の賃上げ実現を目指す努力目標を掲げています。
薬局において賃上げの対象となるのは、40歳未満の勤務薬剤師と事務職員です。
2.ベースアップ評価料の役割と調剤基本料の引き上げ
病院や診療所では、看護職員や病院薬剤師などの賃上げの原資として「ベースアップ評価料」が新設されましたが、薬局の事務職員の賃上げについては、主に以下の措置を通じて行われます。
- 1.調剤基本料の引き上げ:職員の賃上げを実施すること等の観点から、調剤基本料1~3の点数が一律3点引き上げられました。例えば、調剤基本料1は42点から45点に増点しています。この増点分が、薬局における賃上げの財源の一部となります。
- 2.医療従事者の処遇改善のための特例的な対応:診療報酬全体で +0.61% の特例的な対応が行われ、この財源の一部(改定率 +0.28% 程度を活用)が、薬局の勤務薬剤師(40歳未満)と事務職員の賃上げに資する措置として充てられます。
ベースアップ評価料(病院・診療所向け)を算定する医療機関は、得た収入を確実に医療スタッフの賃上げに使うというルールが設けられており、賃金改善計画書を提出する必要があります。薬局の場合も、調剤基本料の引き上げは、地域医療への貢献と職員の賃上げを目的としています。
3.賃上げ実施の現状と薬局経営のリアル
政府の目標とは裏腹に、薬局業界では賃上げの実現には課題が残っています。
- ●実施状況の懸念:ある調査によると、2024年度調剤報酬改定を踏まえた賃上げについて、昨年度に賃上げを実施していない薬局が約半数(49%)に上り、今年度も7割の薬局が「実施予定なし」または「未定」と回答しています。
- ●財源捻出の苦境:賃上げを実施した薬局の中には、「経営者の給与減」や「経営者の個人資産で補填」といった形で財源を捻出している実態も報告されており、苦しい財政状況が浮かび上がっています。
- ●加算の見直しによる影響:「地域支援体制加算」の要件が厳格化され、点数も引き下げられました(加算1は39点から32点へ、一律7点マイナス)。改定前の算定率が高い企業ほど、改定後の点数のマイナス幅が大きく、賃上げへの対応を「十分充足している」「対応次第で充足」と捉える割合が低い傾向が見られました。これは、薬局が果たしている機能に基づき評価されるべきという業界の要望とは逆行する結果であり、賃上げの持続性が懸念されています。
求職者にとっては、今回の改定により調剤基本料が引き上げられ、事務職員の賃上げの財源が確保されたという点は朗報ですが、実際にどの程度賃上げが実施されるかは、勤務先の薬局が地域支援体制加算や新設された加算(医療DX推進体制整備加算など)を算定できているか、そして経営状況が安定しているかによって大きく左右されると言えます。
新しい薬局の役割と調剤事務の業務変化
2024年度の改定は、薬局に「地域の医薬品供給拠点」「質の高い在宅業務」「かかりつけ機能」の強化を強く求めており、これに伴い調剤事務員の業務内容も変化し、より高度な対応が求められています。
1.医療DX推進の評価と事務員の必須スキル
医療分野のDX(デジタルトランスフォーメーション)推進は喫緊の課題であり、薬局におけるDX推進を後押しするため、「医療DX推進体制整備加算」(4点、月1回のみ算定可)が新設されました。
この加算を算定するための体制整備には、調剤事務員のスキルアップが不可欠です。主な要件には以下が含まれます。
- ●オンライン資格確認により取得した診療情報・薬剤情報を調剤に活用できる体制の整備。
- ●電子処方箋および電子カルテ情報共有サービスを導入し、活用できる体制の確保(それぞれ経過措置あり)。
- ●来局患者のマイナ保険証の利用率が一定以上であること(2025年10月1日から適用)。
- ●サイバーセキュリティの確保に必要な措置を講じていること。
今後、事務員には、単なるレセコン入力だけでなく、電子化された患者情報の閲覧・活用や、マイナ保険証利用の案内促進といったDX関連の業務が求められます。これは、事務員の役割が単なる計算・請求業務から、情報管理と患者サポートにシフトしていることを意味します。
2.地域連携と在宅業務の強化
高齢化が進む中で、在宅医療のニーズは高まっており、薬局の経営維持のためにも在宅への取り組みは不可欠となっています。
- ●在宅薬学総合体制加算:在宅医療を包括的に評価する「在宅薬学総合体制加算1(15点)・2(50点)」が新設されました。これを算定するには、在宅薬剤管理の実績(24回以上/年)や、開局時間外の在宅業務対応体制(在宅協力薬局との連携を含む)が必要です。
- ●新しい在宅加算:「在宅移行初期管理料」(230点、1回限り)や、夜間・休日・深夜の緊急訪問に対応する加算が新設されました。
- ●施設連携:特別養護老人ホーム等と連携し、入所時の薬剤整理などを行った場合に算定できる「外来服薬支援料2 施設連携加算」(50点)も新設されました。
事務員は、これらの在宅業務において、在宅訪問に関わる書類作成、スケジュール管理、請求処理の補助、さらには他医療機関や介護事業者との連携・連絡調整の補助など、オールラウンドな業務に従事することが期待されます。
3.厳格化する地域支援体制加算
「地域支援体制加算」(地域加算)は、地域医療に貢献する体制を評価する加算ですが、2024年度改定で要件が厳格化されました。
例えば、加算1では、これまでの10項目のうち3項目を満たせば良かった要件に、「かかりつけ薬剤師指導料」の実績(処方箋受付年1万回当たり20回以上)が必須条件として追加されました。さらに、麻薬調剤や小児特定加算といった、薬局の努力だけではどうしようもない実績が要件に含まれているため、施設基準のハードルが上がったという印象を持つ薬局関係者も少なくありません。
点数が引き下げられた(一律7点マイナス)上に要件が厳しくなったため、薬局は今後、24時間対応体制や休日・夜間を含む在宅対応の体制の強化を一層進める必要があります。
調剤薬局事務の給与事情とキャリアアップ戦略
賃上げの動きが進む中で、調剤薬局事務の仕事を目指す求職者が知っておくべき、給与の相場と、将来的なキャリアアップの方法について整理します。
1.正社員・パートの給与相場と地域格差
調剤薬局事務の給与水準は、一般事務職全体の平均(約350万円程度)と比較すると、比較的安い傾向にありますが、景気に左右されにくく安定している点が魅力です。
雇用形態 | 平均年収/月収 | 時給相場 |
---|---|---|
正社員 | 年収:約260~350万円 平均月収:約18万円 | – |
パート/アルバイト | – | 1,000~1,200円程度 |
派遣社員 | – | 平均時給:1,244円程度 |
年齢による月収の推移を見ると、年齢が上がるにつれて給与も上がる傾向があります。例えば、20代(16~17万円)から40代(21~23万円)にかけて昇給が見られます。
地域による格差も大きく、調剤薬局事務に限らず、働く地域によって給与水準は異なります。
参考:職業安定業務統計の求人賃金を基準値とした一般基本給・賞与等の額(時給換算)|厚生労働省
参考:職種別民間給与実態調査「令和4年度職種別民間給与実態調査 2 職種別平均支給額」|人事院
参考:当社掲載求人情報から算出
2.調剤事務の仕事内容と魅力
調剤事務の魅力としては、特別な資格が不要で未経験からチャレンジできる求人が多いこと、残業が比較的少ない傾向にあること、そして全国どこでも薬局があり、比較的安定した業界のため、配偶者の転勤などによる引っ越しがあっても求人を見つけやすいこと(全国の調剤薬局の数はコンビニよりも多い)が挙げられます。
主な業務内容は以下の通りです。
- 1.窓口業務:患者様の受付、処方箋や保険証の受け渡し、お薬手帳の預かり、会計業務。初診患者へのアンケート記入依頼や電話対応も含まれます。
- 2.レセプト業務:レセプト(調剤報酬請求)の作成、保険証や処方箋の入力業務。
- 3.薬剤師の補助業務:薬剤師の指示のもとで行うピッキング(薬の取り揃え)作業や調剤補助、在庫管理、発注業務など。
- 4.その他:事務処理、書類整理・管理、店舗の清掃、多職種との連携業務。
3.給与アップを実現する具体的な方法
今回の調剤報酬改定による賃上げの動きを踏まえ、調剤事務員が給与アップを目指すための戦略は以下の通りです。
- 1.大手薬局への転職:個人経営の薬局よりも全国チェーンの大手薬局の方が、一般的に給与が高く、ボーナスや福利厚生も充実している傾向にあります。安定した経営基盤を持つ大手チェーンでは、今回の改定による賃上げ目標を比較的達成しやすい可能性があります。
- 2.関連資格の取得:資格手当として月5,000円?15,000円程度が加算されることがあります。調剤事務関連の資格はもちろん、薬局の業務で有利となる登録販売者資格を取得することで、給与アップやキャリアアップに繋がる可能性があります。登録販売者は、一般用医薬品の販売に関わるため、薬局における業務の幅が広がります。
- 3.経験を積み昇給・昇格を目指す:調剤事務は離職率が低い仕事であり、長く勤続して昇給・昇格を狙うことが可能です。正社員であれば昇格により月収が5,000円程度変わるのが一般的です。今回の改定で薬局に求められる役割が拡大したことにより、DX対応や在宅業務など、新しい分野で経験を積むことが昇格に直結する可能性が高まっています。
- 4.DX/在宅スキルを身につける:今回の改定で新設された「医療DX推進体制整備加算」や「在宅薬学総合体制加算」の算定には、事務員のサポートが不可欠です。電子処方箋やマイナ保険証の利用促進、在宅関連の請求補助や連携サポートといった、改定で評価された新しい業務に積極的に関わることで、市場価値を高めることができます。
求職者が知っておくべき未来の展望
2024年度調剤報酬改定は、調剤薬局が「門前薬局」から「かかりつけ機能」を持つ「地域共生社会の実現に向けた拠点」へと進化する、その道筋を明確に示しました。
調剤事務員は、今回の改定で賃上げの対象職員として明確に位置づけられ、調剤基本料の引き上げという形で財源措置が講じられました。政府の目標である2年間で合計4.5%のベースアップの実現は、薬局の経営努力に委ねられる部分が大きいものの、医療業界全体で賃金改善の流れが生まれているのは確かです。
求職者にとって重要なのは、単に「給料が上がるか」だけでなく、「どの薬局が、この新しい評価制度に積極的に対応しようとしているか」を見極めることです。
医療DXへの対応や、質の高い在宅医療の推進、そして地域支援体制加算の厳格化は、薬局の体制と事務員のスキルを厳しく問うものです。これらの新しい要件に積極的に取り組み、地域医療に貢献する薬局こそが、安定した経営基盤を築き、結果的に職員の待遇改善を継続的に実現できるでしょう。
調剤薬局事務の仕事は、景気に左右されない安定性に加え、今後さらに専門性と多機能性が求められる、やりがいのある職種へと変貌を遂げつつあります。資格取得や、DX・在宅業務といった新しい領域での経験を積極的に積むことが、あなたのキャリアアップの鍵となるでしょう。
この変革期をチャンスと捉え、ぜひあなたの希望に合った職場を見つけてください。